近年、IT会社の社員が、ライバル会社に転職する際、前職の機密情報を不正に持ち出したとして、不正競争防止法違反の容疑で警視庁に逮捕された事件がありました。
この事件では、機密を持ち出されたIT会社が、転職先のライバル会社と元社員に対し、約1000億円の損害賠償請求権を主張したことでも話題になりました。
また、前回ご紹介した、回転ずしチェーンの社長が前職の営業秘密を持ち出して逮捕された件では、同社長のライバル会社への転職が現実味を帯びて以降、情報の持ち出しに着手したとされています。
転職者にもともとそのつもりがなくても、転職先が、いわゆる手土産を期待して採用をにおわすことは少なくありません。
退職・転職する際に情報の持ち出しや情報漏洩を防ぐために、会社が秘密保持誓約書の締結を求めることが多いです。
しかし、時として、社員に著しく不利益で、無効な内容の誓約書に署名を求められることもあります。
そこで今回は、退職時に秘密保持誓約書へのサインを求められた場合にどうしたらよいか、退職や転職時に気を付けるべき点についてご説明したいと思います。
退職時の秘密保持誓約書とは?
残念ながら、社員が退職時に、社内の機密情報(営業秘密)や秘密情報などを持ち出す事件は後を絶ちません。
どんな情報でも、持ち出されると会社には重大なリスクとなるため、退職する社員の情報漏洩や持ち出しを防止する対策として、会社から秘密保持誓約書の作成を求められることがあります。
秘密保持誓約書と秘密保持契約書の違い
「秘密保持誓約書」とは、会社が社員に対して、業務上知った秘密を保持することを約束させる書面のことです。
秘密保持誓約書に社員が署名・押印することで、社員は会社に対して守秘義務を負い、情報漏洩や情報の不正利用をしてはならない、秘密を守るという義務を負うことになります。
なお、似た言葉に「秘密保持契約書」があります。
これは、業務提携など、会社同士で取引をする際に、お互いに相手の会社の秘密事項を守るために交わす契約のことです。
一方、会社が社員に約束させる「秘密保持誓約書」は、社員に一方的に約束を守らせるもので、契約ではありません。
秘密保持誓約書に書かれる内容
秘密保持誓約書には、
- 秘密情報を特定すること
- 秘密保持義務を負うこと明記すること
- 秘密情報を破棄したり会社に返還することを約束させること
- 競業避止
- 違反した場合のペナルティ
が必ず盛り込まれます。
合意管轄については、万が一トラブルになった場合に、会社に有利な地域の裁判所が指定されがちなので、遠方に移転する場合は注意して確認してください。
退職時の秘密保持誓約書のテンプレート
退職時、会社からどのような秘密保持誓約書を提示されるか、心配な方もいると思います。
そこで、ここでは一般的なテンプレートをご紹介します。
社員は秘密保持誓約書の作成を拒否できる
会社は、社員に対して、秘密保持誓約書を書くことを強制できません。
社員は、秘密保持誓約書を書くかどうか自由に決めることができるので、あくまで社員が誓約書を書くことに同意した場合しか秘密保持誓約書を作成できません。
秘密保持誓約書は、退職する際に情報を持ち出したり、転職後に情報漏洩したりしなければ、特段問題になるものではありません。
しかし、誓約書の内容として、同業他社への転職を長期にわたって禁止する、関与していない情報についても万が一漏洩した場合は責任を負わせるなど、著しく不合理な内容の書面が作成されている場合もあります。
このような場合は、秘密保持誓約書への署名を拒否して問題ありません。
期間や範囲、損害賠償額を慎重に確認
秘密保持誓約書への署名・押印を求められたときは、次のような点に注意して内容を確認しましょう。
- 秘密情報の範囲が広範囲すぎないか
- 競業避止の期間が不当に長すぎないか
- 損害賠償の金額に高額な違約金が付加されていないか
上記のように、著しく社員側に不利益な内容でないかを確認することが重要です。
あまりに会社側に有利な内容の場合は、誓約自体が無効と判断される可能性があります。
加えて、署名・押印しないと退職金を払わないといった対応も違法です。
退職金は退職金規定に従って支払われるもので、退職金を払わない理由が明記されていない限り、秘密保持誓約書に署名押印しないことを理由に、退職金の減額や不支給をすることはできません。
署名・押印の強要は違法
秘密保持誓約書への署名押印を求められた際、内容から拒否したのに強制されたような場合は、強迫(民法96条1項)に当たるとして、取り消すことができる場合があります。
このような場合は、まずは弁護士に相談してください。
退職時以外にも会社が秘密保持誓約書を要求してくる3つのタイミング
会社は、退職時以外にも秘密保持誓約書への署名・押印を求めてくる場合があります。
入社時に求められる秘密保持誓約書
入社すると、会社と社員は雇用契約を締結します。
この契約に付随する義務として、その会社に勤めている間、社員は当然に秘密保持義務を負います。
そのため、入社時に秘密保持誓約書を結ばない会社もあります。
しかし、会社の業務内容や企業風土によっては、雇用契約書とは別に秘密保持誓約書を作成している会社もあります。
入社時の秘密保持誓約書の内容としては、何が秘密保持義務の対象になるかといった定義や、USBの持込み禁止、秘密保持義務の対象となる情報についてダウンロードの禁止など、情報の取り扱いに関する社内ルールであることが多いです。
ただし、秘密保持義務の対象が広すぎるなど、内容によっては公序良俗に反し無効(民法90条)の場合があります。
過去の裁判例では、「業務に関わる重要な機密事項、特に顧客の名簿及び取引内容に関わる事項並びに製品の製造過程、価格等に関わる事項」という程度に限定されていれば無効にならないと判断されたものがあります(ダイオーズサービシーズ事件(東京地判H14.8.30))。
あまりに無理な内容を求められた場合は、署名する前に弁護士などの専門家に相談することをお勧めします。
昇進などポジション変更時の秘密保持誓約書
昇進した、新たなプロジェクトに関わることになったなど、ポジションが変わった時にも、秘密保持誓約書の作成が求められる場合があります。
より秘匿性が高い情報に触れる機会が増えること、情報へのアクセス権限も増えることから、改めて守秘義務を遵守させる目的で作成されることが多いです。
しかし、社内で情報漏洩が生じた場合に、自身が関与していなくても一切の責任を負わせるなど、過大な責任を負わせるような内容の場合は、安易に署名押印しないように注意しましょう。
退職時の秘密保持誓約書
上記のように、秘密保持誓約書を作成しなかったとしても、務めている以上、雇用契約に付随する秘密保持義務を負います。
しかし、退職後もその義務を負うわけではありません。
そこで、会社としては、退職時に秘密保持誓約書を書かせることで、就業中に得た情報を持ち出すことを禁じたり、競業避止義務として、同業他社への就職を制限するなどの対応を求めてくることが多いです。
競業避止義務については、法律で競業行為を控える義務があるとはされているものの(労働契約法3条4項)、行き過ぎた制約は職業選択の自由(憲法22条1項)の侵害にあたります。
そのため、同じ地域で期間を1~2年とするなどの制限がなければ、制限が厳しすぎるとして無効となる可能性があります。内容に疑問を感じた場合は、弁護士に相談してみましょう。
秘密保持誓約書がなくても退職後に損害賠償を請求される場合がある
万が一、退職後に情報を持ち出したり情報漏洩をした場合、持ち出した情報や秘密の種類によっては、秘密保持誓約書に署名押印していなくても、損害賠償を請求される場合があります。
営業秘密かどうかで保護のレベルが変わる
社員が負う退職後の秘密保持義務は、秘密保持誓約書や会社の就業規則など雇用契約上の義務が根拠になる場合と、不正競争防止法上の義務が根拠になる場合があります。両者の違いは以下のように現れます。
不正競争防止法による秘密保持義務
不正競争防止法で保護される会社の秘密は、次のように保護されます。
- 不正競争防止法の「営業秘密」に当たらなければ保護されない
- 営業秘密に当たれば、誓約書がなくても保護されるので損害賠償請求などの対象になる
- 情報漏洩の差止請求、廃棄除去請求、損害賠償請求、信用回復請求ができる
- 社員以外の第三者にも営業秘密の使用や情報開示の差止めができる
秘密保持誓約書など雇用契約による秘密保持義務
秘密保持誓約書などで秘密保持義務が課された場合、次のような特徴があります。
- 秘密保持誓約書や就業規則がないと原則として損害賠償請求されない
- 秘密保持誓約書があれば、不正競争防止法の営業秘密に当たらない情報の漏洩でも損害賠償請求される
- 退職しても損害賠償請求や情報漏洩の差止請求をされるが、第三者にはできない
うっかり情報を持ち出さないよう営業秘密に注意
上記のように、不正競争防止法の営業秘密は、秘密保持誓約書等雇用契約上の保護より強力に保護される一方、営業秘密以外の秘密は保護の対象になっていません。
つまり、原則として、
- 営業秘密であれば、不正競争防止法に基づいて差止めや損害賠償請求をされる
- 営業秘密にあたらなければ、退職後の秘密保持義務がなければ、差止めや損害賠償請求をされない
ということになります。
退職後の秘密保持義務は、会社との雇用契約が終了した以上、当然に生じるものではありません。
会社としては、万が一に備えて秘密保持誓約書を作成し、退職後も秘密保持義務を負わせようとします。
もちろん、情報の持ち出しや情報漏洩をしないことが重要ですが、営業秘密に当たる場合は、秘密保持誓約書の有無にかかわらず責任が発生するので、うっかり情報を持ち出していたなどの状況にならないように十分注意してください。
秘密保持誓約書について弁護士に相談するメリット
退職や転職をする際、会社が秘密保持誓約書に署名押印を求めてきた場合は、
ポイント
- 内容が著しく不利益なものではないか確認すべきこと
- 社員は拒否できること
- 会社は社員が合意した場合しか署名押印を求められないこと
について解説してきました。
秘密保持誓約書は、あくまで任意で署名押印するものですが、万が一情報の持ち出しや情報漏洩をした場合は、前職である会社や同僚に大きな不利益が生じます。
また、情報が営業秘密であった場合は、秘密保持誓約書の有無にかかわらず、損害賠償請求などをされる可能性があります。
さらに、在職中に会社の指示により業務に関連して作成した資料などは、原則として職務著作(著作権法15条)に該当するとして会社に著作権があり、勝手な持ち出しは同法に違反する可能性があります。
それだけに、退職、転職する際は、情報や秘密を不用意に持ち出さないように、十分な注意が必要です
一方で、あまりに社員に不利益な内容の秘密保持誓約書や、自由に働く権利を侵害するような競業避止義務を求められた場合は、その場で署名押印せず、まずは弁護士にご相談ください。
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